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日本の習俗vol.9カミ観念



               < 神の性格 >

 川上という言葉は、川の上の方という言葉だが、日本人の神もこういうようなもの。

 神=上、そう、垂直的に上ではなく水平的な上。本源とでもいうべきか。
 また神は「クマ」とも訓まれる、クマは隠れるという意味の動詞で
 クムから派生したものである、となると、神は語義のうえからすると
 「本源をなす隠れた存在」と捉えられるだろう。

 本居宣長の「古事記伝」では、日本人の神観念は、自然上なんでもありで
 異常な力を持ち、畏敬されているものと捉えている。

 となると神を目に見えない存在として空中を浮遊しているが、自然現象として
 あらわれたり人に憑依したりして、異常な力を発揮する本源的な存在として
 畏敬されているものと(おおざっぱではあるが)まとめられる。

 神の属性については松平斉光によると、基本的には人間の感性に知覚されない
 空気のようなもので、自然や人間動植物に宿って示現して力を発揮する。
 善悪、荒和の二面を持ち、まつられぬと祟り、祀られると人々を守護し利益を与える。

 また、様々な欲を持ち、芸術を愛し、人間との約束を守るが、人間の自然や
 社会の秩序を乱す行為や、不潔・血・死などの穢れを嫌悪するという性格も持つ。

 それゆえ、人間が清浄なところで、米や酒、山海の幸を供えて神を祀り
 舞踏や音楽の奉納、神田や宝物の献上、願掛けなどをすると喜んで利益を
 与えてくれるとされている。


*「語義-神の語源を中心に」阪倉篤義、「日本語の語彙1語彙原論」佐藤喜代治
  「祭-その本質と諸相」松平斉光               参考



               < 神の種類 >

 折口信夫博士の研究から、神の分類を取り上げてみたい。

 まず博士は「土地の精霊」と「まれ人」に分類する。
 土地の精霊とは、家内神・屋敷神・田畑の神・森の神など、御神体もなく
 神社にも祀られないで、ともすればその土地の人に災いをもたらすもの。

 まれ人は、祖霊神・穀霊神の要素を持ち、蓑笠などをまとい来訪して
 庭などで呪言を唱え、大地を踏みつけることによって土地の精霊を鎮め
 その土地の人々に災いをしないように命じる神とされている。

   ここまでが折口信夫博士による分類を参考。


 岩田慶治氏による精霊に近い「カミ」と人格化して神社に祀られている「神」の
 二分類もこれに類している。


 ではこれを、住居と家の間取りで考えてみよう、この精霊とまれ人の関係、
 家の裏側の荒神・水神など主婦が山伏などの民間宗教者に御幣を切って
 祀ってもらうカミと、家の表の主に戸主が祀る、神棚の氏神・仏壇の先祖の関係に
 適応できる。(主が最近では主婦さんのような気もするが・・・)

 
 当初は特に名前のなかったムラの神が、中央の大社の神霊をむかえて熊野神社、
 八幡神社などと呼ばれるようになるのも、これに類することであるし
 古代神話における先住民の国津神と高天原から降臨して彼らを支配した高天原系の
 天津神の関係も同様なものであろう。

 もう少し敷衍すれば、日本の神は仏教の仏菩薩が日本人を救済するために
 姿を変えてあらわれたものとする、本地垂迹思想も基本的にはこの論理に
 たっているのかもしれない。

 ここまでが、まれ人(大きな神)と精霊(小さなカミ)との相関関係派生です。


 
 もう一方の分類として「人間神」と「自然神」との二分類があるだろう。

 以前「たま」「たましい」「もの」の話を書いたが、二分類は「たま」と「もの」
 霊魂と精霊の二分の展開ともいえるものであろう。

 この分類の人間神は人間が神として祀られるもので、具体的には祖霊化をへた
 祖神、怨霊が神格化した御霊神・疫神、英雄が神格化した英雄神、そして
 かつての天皇のような、現人神などであろう。

 一方の自然神は本来は自然崇拝に根ざすもので、神秘感や恐怖感をおこす天体
 地上の山や海、動植物に神を観じて祀るものである。

 ただ人間神が石・木などの自然物を御神体としたり、自然神が人間に憑依して
 託宣を下すというように、両者は相互に関連しているのだ。


 *次回は、神の定義の曖昧さも交えながら、人と神と自然を書き連ねます。
 



          
               < 自然神、統御神 >

 人が死後、子孫に祀られて祖神になるという生き方は、自然の摂理・宇宙の法に
 もとづく、理想的な生き方とされていた。
 さらにこうした宇宙の法、自然の摂理を神格化することも認められた。

 宇宙や自然の運行を象徴する統御神とでもいうものが想定される。
 この統御神は、月や雷、風や山など自然現象を支配する神々を主導して人間生活を
 守るが、時には風水害などをもたらす自然神の性格ももっているといえる。



             < ルートからはみ出た死霊 >

 水子の霊や幼児の死霊、怨霊、幽霊などは、当人がそれを強く望んだと思われるにも
 かかわらず、先のルートを経て神になれず、外にはじき出されたものだ。

 そこで、これらの霊は、人間や死霊・祖霊・祖神を外側から包み、これを
 規定する自然神の庇護の元で、他界での生を送ろうとする。

 風車に宿る水子の霊、霊山の賽の河原の幼児霊、雷や星と化した霊、
 川辺の柳の幽霊や妖怪、これが自然神に抱かれた彼らの他界の生なのだ。


 それだけでなく彼らは、自然神と結託して、自分をこうした状況に追いやった
 ものに祟りをもたらして、彼らを不幸に陥れるのだ。

 特に怨霊は、自然神と結託して落雷・地震など天災をもたらしたのである。



                 < コスモロジー >
 
 こうした災厄を免れるためには、障をもたらしている死霊を供養して
 今一度、ルートに戻したり、祀り上げて守護神化することが試みられた。

 他界とされた霊地の社寺に七五三・入学・結婚式の絵馬や人形をおさめて
 幼児霊を供養したり、幽霊のために法要を行うのはルートに戻す営みである。

 また御霊神を祀る神社を創祀したり、戦死者を靖国神社に祀ったり
 妖怪のために小祀をつくるのは守護神化の例であると思われる。

 このほか、山岳などで修行して統御神や自然神の力を獲得した山伏などの
 民間宗教者に障霊による災厄の除去が求められもした。

 こうしてみると、日本の民俗宗教は、基本的に宇宙の摂理に基づいて
 統御神・自然神(大宇宙)と、人間や祖先神(小宇宙)が、ある時には対峙し
 またあるときには補完しあい、さらには同化するところに、人々の生活があると 
 する宇宙観が認められる。

 
 *次回からは、最終テーマ、「死」・・・です。



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